昭和20年8月の敗戦の後、日本の高度成長を築き・支えた敗戦までに生まれた方々の年令は56才以上となり、65才を越えるお年寄りが年々増加する状況を迎えています。平成14年2月12日、関西テレビの朝の番組(とくダネ!)で「お年寄りはお断りも?密着・部屋探し苦悩」という特集が放送されました。単身のお年寄りは賃貸住宅を借りる事が現実には非常に困難であるとの報道です。現在65才の方は昭和11年生まれで敗戦の年は9才だったことになります。そして、19才を迎えた昭和30年から、39才になる昭和48年までの20年近くにわたり経済成長率は、”岩戸景気”や ”いざなぎ景気”を経て毎年10%前後の高い伸びを続け、国民総生産は、アメリカに次いで西側諸国第2位に成長したのです。 その年代以前の方がお年寄りとするなら、その社会背景は正に日本の絶頂期とも言えます。昭和30年〜40年代後半にわたり、就職機会の少ない、農山漁村部の中学卒業生達の多くは、好景気で仕事がいくらでもある都市部の零細企業・中小企業などに就職し、昭和38、39年ごろからは「金の卵」と称され求人が殺到したこともありました。集団就職のため、臨時に仕立てられた列車は、「集団就職列車」と呼ばれていました。(いずれ、高校進学率が8割を超え、経済成長率も鈍化し、昭和50年に中止される。)そして、昭和30年頃、三種の神器と名付けられた電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビジョンが、5年後の1960年には、白黒テレビ約50%、洗濯機約35%、冷蔵庫約15%まで普及しました。その年(1960年、昭和35年)には、「家付きカー付きババア抜き(当時の女性の結婚の条件。車もあまり普及してない時代、持っているだけで、"ワァ、・・・")」と言う言葉まで叫ばれるようになったのです。1966年(昭和41年)第2次耐久消費財ブームでは”3C時代”と呼ばれ、これまでの”三種の神器”に代わって登場した、カー(自動車)、クーラー(ルーム クーラー)、カラーテレビのトリオ(3つとも英語の頭文字がCであるので「3C」)は、高度成長時代の庶民の夢と目標となったのです。このような、常に明るい未来を約束されていた様な錯覚を抱かされた年代の苦労人が、バブル崩壊後の厳しい経済状況の基で、核家族化を進めてきた自らの信念が、皮肉にも苦労人自信が単身で自らの生活の場を制限してしまう結果を生もうとは考えてもいなかった事かも知れない。また、デフレの進行は資産デフレに始まり、「価格破壊」の言葉で一時は消費者物価の低下が庶民には歓迎されたものの、そのことが更に消費の低迷から企業売上の下落とリストラに拍車をかけ、結果的には所得デフレを引き起こすことに皮肉にもつながっているのであります。単に、全てが下がれば良いのですが、既に運転資金と住宅ローン等で借入を起している企業や家庭においては借入額と返済額のデフレは無い為、限界を越えれば不良債権化に成らざるを得ずそれが金融不安から究極は日本経済の崩壊を招くことになるのです。今の、小泉内閣の最大課題は構造改革では無くインフレの創出なのです。我々、不動産業者はこうした現実のもとで如何に、居住用の物件を、購入という形態で供給するのかと求める事しか、社会への貢献の道は無いのかも知れません。今日、金融機関が自ら住宅ローン融資基準の大幅な緩和を行いだした事はインフレ創出に向け国の政策を待てない切羽詰まった打開策であるものとも理解出来ます。人々は、デフレによる社会不安が進む速度に怯えながらも、豊かな生活を求めて家庭生活の安定と個人の娯楽へと目を向けています。住宅の確保と、贅沢とは縁遠くても満足出来る生活が希望なのです。
以下、歴史の勉強
1951(昭和26年)
親指族:当時のパチンコは、手動式で、手慣れた人は、左手の親指で、左手に掴んでいる玉を機械に投入し、そしてその玉を、右手の親指でレバーを弾いて打ち上げていた。パチンコに取り付かれた人のことを皮肉ったことば。
1955(昭和30年)
三種の神器: 電気洗濯機がなかった時代の洗濯は、たらいに水を張り、洗濯板に洗濯物を擦りつけて 洗うのが、一般的な方法で、洗剤も粉末状でなく、固形の洗濯石鹸を使用していた。5年後の1960年には、白黒テレビ約50%、洗濯機約35%、冷蔵庫約15%まで普及する。
1956
(昭和31年)不二家がバレンタインセールスタート。
1959(昭和34年)皇太子ご成婚、伊勢湾台風
カミナリ族、合ハイ、岩戸景気、若い根っこの会、カミナリ族:
殆どの若者が車を持っている現在と違って、当時は、オートバイの普及初期で、 カミナリのように爆音をひびかせて飛ばす若者が目立った。座席に座るのではなくて、うつ伏せに
寝たような格好で両足を真っ直ぐ伸ばして、オートバイを操縦している若者を見かけたこともあった。1960(昭和35年)新日米新安保条約を強行採決、第一次池田内閣成立、カラーテレビ発売、南氷洋での捕鯨世界一に。所得倍増計画、だっこちゃん、家付きカー付きババア抜き
所得倍増計画を発表<1960>1960年7月に発足した池田勇人内閣は、10年間で国民所得を2倍にするという「所得倍増計画」を掲げた。経済成長は50年代半ばから加速しており、55−70年の実質経済成長率は年平均10%を突破。池田内閣の計画を上回るペースで成長を遂げた。64年には経済協力開発機構(OECD)に正式加盟し、先進国の仲間入り。国民総生産(GNP)は68年、資本主義国で2位となり、海外からは「日本の奇跡」と呼ばれた。
安保反対デモ<1960>新しい日米安保条約は1960年1月19日に調印された。5月20日、衆議院で自民党が単独で承認を可決すると、連日のようにデモが起きた。6月15日には全学連が国会に突入した際、東大生の樺美智子さんが死亡した。条約が自然承認されるとデモは収束した。その後、新左翼系各派に分かれた学生運動は過激度を増す。赤軍派の日航機乗っ取り事件(70年)、連合赤軍のあさま山荘事件(72年)やリンチ殺人事件などで支持を失い、衰退に向かった。
1966(昭和41年)全日空機羽田沖で墜落、BOAC機富士山墜落、尺貫法廃止、ビートルズ来日、カップヌードル発売、カローラ1100発売、グリコがポッキーチョコレート発売
新三種の神器
(カー、クーラー、カラーテレビ)、全共闘 、ウルトラマン ♪君といつまでも、若者たち、ラブユー東京、想い出の渚、バラが咲いた霧氷、悲しい酒、二人の銀座、霧氷、こまっちゃうな
新三種の神器で新たな需要に沸く昭和三十九年から四十年にかけて、高度成長のゆがみから大企業の倒産、一部家電大手メーカーも経営を危ぶま れるなどの不況に見舞われた。しかし、公共投資の増加、戦後初の国債の発行など政府の景気対策によって克服さ れ、代わって景気は上向きとなった。この好況は昭和四十年十月から四十五年六月まで、実に五十六カ月間という戦 後最高記録の繁栄をもたらし、かつての”岩戸景気”をしのぐ、”いざなぎ景気”を実現した。
新たな好況のなかで、家電業界もまた新たなブームを迎えていた。”3C時代”と呼ばれた昭和四十二年の第二 次耐久消費財ブームである。これまでの”三種の神器”に代わって登場した、カー(自動車)、クーラー(ルーム クーラー)、カラーテレビのトリオは、高度成長時代の庶民の夢と目標となった。
カラーテレビの開発と普及の経緯は前章で述べたが、カラーテレビの生産が白黒テレビのそれを追い抜いた昭和 四十三年以降、一家に二台、三台と複数のテレビを持つ家庭も徐々に増えてきたことにともなって、テレビ業界で はホーム共聴が注目されるようになってきた。テレビの普及の要因としては、国民生活の向上や、テレビの低価格 化・小型化によるところが大きいが生活様式の変化や、テレビの役割が多様化してきたことも見逃せない。テレビ は娯楽主体のものから、情報生活のためのツールとして重要度を増してきたのであった。さらに都市型CATVの 誕生や、UHF、VHF、混在放送など、現在の一部屋一台時代を予想させる材料は、すでにこの頃から整って いたのである。
クーラーの国産化も古く、すでに昭和二十年代の終わりには量産化されている。しかし当時は、部屋の床の上に クーラーを設置して「冷えない」と苦情をいわれたという笑い話もあるほどに、使い方さえもよくわからないとい う有様であった。そのクーラーが、昭和四十三年になると品切れの機種も出るまでに成長していた。
1970(昭和45年)日本万国博覧会、日航機よど号ハイジャック、三島由紀夫割腹自殺
1971(昭和46年)ドル・ショック、銀座にマクドナルド日本1号店開店、箕面にミスタードナッ1号店開店、日清食品「カップヌードル」発売 ホットパンツ、アンノン族、シラケ、ヘンシ〜ン、脱サラ、ネズミ講
アンノン族: 新しく創刊され、流行の最先端と旅行の情報が豊富な雑誌の「anan」や「non・no」を持って旅行する若い女性のこと。
1972(昭和47年)沖縄本土復帰、大阪千日デパート火災、第11回冬季オリンピック(札幌)浅間山荘事件、高松塚古墳で壁画発見、グアムで横井庄一さん救出、日産、スカイラインGT発売、「ぴあ」創刊
1973(昭和48年)石油ショック
1975(昭和50年)ベトナム戦争が終結、沖縄海洋博開催
1976(昭和51年)ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕、五つ子誕生
1977(昭和52年)日本赤軍日航機ハイジャック、アップルコンピュター誕生
1978(昭和53年)日中平和友好条約調印、新東京国際空港開港、ホワイトデーが登場
1979(昭和54年)第2次石油ショック、菱銀行猟銃人質事件、公立大学共通一次試験スタート、「ウォークマン」発売、NEC「PC-8001」発売
1980(昭和55年)大貫さん1億円拾得、富士見産婦人科病院乱診事件、とらばーゆ・Number・写楽創刊
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